地区の近況 Feed

2023年5月25日 (木)

大麦の収穫が始まる

 昨年より少し早く大麦の収穫作業が始まりました。

 実り具合が今一つの圃場もありますが、まずまずの出来です。麦は乾燥地帯が原産地で、水はけが良くないとうまく育ちません。排水に工夫をこらしているのですが、雨が続いたりするとどうしても生育が悪くなります。

 それでもなんとか育ってくれて、ようやく収穫できるまでなりました。

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2023年4月19日 (水)

田植の準備が進行中

 地区内の圃場では田植の準備が進んでいます。傍らでは芝桜が満開になっていました。

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 隣の圃場では大麦が栽培されていて、穂丈も高くなり順調に育っているようです。ちょうど、ドローンを使って農薬散布が行われていました。

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2022年10月 7日 (金)

久しぶりにコウノトリがやってきた

 通りがかりにコウノトリ2羽が餌を探して圃場を移動しているのを見かけた。残念ながら当地区からは少し離れたところだ。

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 2019年にはコメの収穫作業に付いてきたことがあるのだが、3年ぶりのことだ。このまま定着してくれて、コウノトリがいる風景が普段の景色になると良いのだが。

2022年5月30日 (月)

麦の刈り取りが盛況だ

 かつては水田で栽培する作物といえば水稲に決まっていたのだが、近年は転作が奨励されるようになった。

 今の時期は大麦だ。麦秋を迎え、圃場のあちこちで刈り取り作業が盛況となっている。

 福井県は大麦の生産では国内有数とのことだ。(資料はこちら

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 活動組織の総会は今年も書面開催となり、今は議決書の集計を行っている。

2022年4月18日 (月)

スマート農業の波がやってきた

 福井県では農作業の自動化が取り組まれていて、自動運転に必要な位置情報を得るための基地局の整備が進んでいるとのことだ。

 そうした中、ついに当地区の集落営農組織にもドローンが入ってきた。ちょっと前までは想像もしなかったことだ。

 さっそく、大麦栽培の現場で農薬散布が行われていた。それまではトラクターにカーペットダスターを取り付け、7名ぐらいで行っていた作業なのだが、2名の作業者で事足りる。

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圏内のGPS基地局関係情報はこちら

2022年4月10日 (日)

稲作の準備が本格化

 つい最近まで朝夕の暖房が欠かせなかったのですが、もう春の盛りとなってきました。

 地区の水田を見下ろすところにあるしだれ桜も見頃となっています。

 集団営農が定着し、圃場に人影はまばらなのだが、日曜日には水稲の準備作業が終日続いていました。

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2021年11月13日 (土)

当区の稲荷神社を紹介しているブログがあった

 偶然のことだが、当該のブログに遭遇。

 静岡に在住の人なのだが、全国の神社を訪ね歩いていて、当区の稲荷神社へも2020年に足を延ばしているとのことだ。その訪問時のことを写真入りのブログで詳しく紹介している。

 こんな片田舎の名もない神社を訪ねてもらっているとは。世の中には色んな趣味をお持ちの方がいるものだと、いたく感心した。

 ブログはこちら

2021年5月31日 (月)

麦の刈り取りが始まった

 晴天の日曜日、大麦の収穫作業が圃場のあちこちで行われていました。晩生(おくて)の水稲の植え付け作業も見受けられ、久しぶりに圃場は賑わいを見せていました。

 当地区では集団営農が始まってから水稲からの転作作物として大麦の作付けに取り組んでいますが、乾燥地帯が原産地である麦類を栽培するためには水はけなどに工夫が必要となってきます。

 それでも雨の降り具合によって収穫量に大きな差が生じます。今年はまずまずの収穫となりました。

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2020年8月29日 (土)

水稲の収穫作業が始まった

 天候不順で遅れていた早生の収穫作業が始まりました。

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 コシヒカリの収穫はまだ先になりますが、一連の収穫作業が片付くと今年度後半の共同作業を行っていくことになります。

2020年5月31日 (日)

伊能忠敬の古地図

新聞紙上で伊能忠敬が作成した古地図がネット上で公開されていることを知った。

当地区は海岸に近いので、その地図に載っていないだろうかと早速に探してみた。

地図はみつけたものの、残念ながら載っていなかった。しかし、すぐご近所の集落がいろいろと載っている。かつて九頭竜川は交通の要であったので、川沿いの集落の情報は重要だったようだ。

この地図を眺めると当時の風景を想像してみたくなる。

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この地図の測量が行われたのは1803年のことらしい。伊能忠敬はこうした村々に宿をとりながら測量していったのだろう。

地図は国土地理院のアーカイブに収められている。リンクはこちら